『成功したオタク』の感想です。#鑑賞記録 【自分が参考に見たサイト】女性に性的暴行、身体に虫を入れさせる動画を…史上最悪のデジタル性犯罪「n番ルーム事件」、“懲役42年”の意味 「彼」自身の言葉で、語るべきではないか――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子 続きを読むまず最初に、芸能人を推すとか好きを表すためのライブとかのイベントの熱量すごいな!!!と思いました。結構普通とか感じていたけど、それは慣れのせいで「こんなに人が特定の目的のために集まって、デカ感情を持っていてグッズとかにお金を落とすの……発展した技術と社会が生み出したすごいことだな……!!!?」と改めて気がつきました。(『映画の朝ごはん』を見たときの感覚を思い出しました。)私は推しに認知されたくないタイプ(知られると嫌われる可能性が発生するのが怖いため)なので、認知された監督のファン活動にすごいな〜と思いました。というか、私は認知までされたいと思う対象ができた場合「もしや自分はこの人に依存しすぎていませんか?依存先を分散させて自分の精神を守るためのリスクヘッジをするか……」と感情を抑える傾向にあるなと改めて自覚しました。(あと推しについて調べすぎると疲れたり、ネットストーカーに発展しそうで怖いので、そもそも調べるのが大変な海外俳優さんを推すとか、グッズは買いすぎないとか、推しに関わる情報を発信しすぎないとか、SNSは壁打ちするとか、疲れたら調べない、といったリスクヘッジをしています。あと自分が情報過多で疲れていると思ったら、別のことをします。精神がへろへろなので常に適度な休息とリスクヘッジをしないとさらにへろへろになってしまうので……)(休息ができているとか言われると謎ですが……同人は休んでいたらできないので。)推しの犯罪でヨーグルトマッコリを作ろうとしてすべてこぼすオタクを見て、わ、私か……?と思いました。なぜなら、私はめちゃくちゃに粗忽者なので……笑いましたが、休め……!とも思います。なんであんなことになっちゃったんだよ……いろいろな人が推しについて語りますが、ここでセカンドレイプをするファンの意見はなくて(監督自身が推しの犯罪について不起訴の記事が多いのを見て、記者本人の方を責める以外は推しを擁護、被害者を叩くところがなかったと私は認識しています。)安心しました。(推しがしたこと、これから自分が推しを応援できないことを認めたくないのはともかく、だからとはいえ被害者が黙っていればよかったとかは本当に最悪だと私は考えています。人権は誰にだって当然あるもので、かつ人権は誰に対しても守られるべきものであって、誰かの利益のために立場が強くない誰かの口を封じるのは本当に徳や理性がないと感じます。過去の歴史的な虐殺とか未だに残る根強い差別とかにつながりかねないので。)(思うのは自由であっても、被害者を責めたりする意見を表に出すか、出さないかの選択肢と意思は各個人が持っていて、表に出してもいいがその責任は取るべきだと私は信じていたいので。本当はそんな攻撃するための意見など出していいわけないのですが……)(自分も差別とか、偏見はできるだけしないで生きていきたいですが、私にできるのはできるだけ差別や偏見する自分自身を自覚し、他人を傷つけることを表に出さないように他の人に気遣ったり、自分なりに勉強して振る舞うことだけで、感情的な部分までの制御は困難だな……と思います。私にできることは、差別や偏見は人類が社会集団を維持するために、他人と自身を区別するために得た脳の機能の一部に過ぎないと理解したうえで、その機能が差別や偏見の方向で暴力性や加虐性を持って他者の権利がないと思い込んだり、差別や偏見していることを当然と思い込んで他者の権利を侵害したりしないことだな……と自覚して気をつけたいです……)グッズの葬式のときに、そのグッズ一つ一つに思い出があるんだよな……と泣きそうでした。そのすべての思い出が犯罪者のせいで泥がつくのは本当に最悪すぎる。死んだ人しか安心して推せないというのを見て、例外を除いて確かにそうだよな……と思いました。(死後に暴露、告発される場合があったり、歴史上の偉人でも過去の文書が見つかったり、研究が進んだりで解釈が変わるため)政治活動も熱心にし続けているとアイドルファンの活動とも似ている気がするなと感じると同時に、「推し活とか体よく言っているだけで、政治・宗教活動ではないから自分の生活とかにはそれほど影響がないと思い込んで、生きがいとか趣味とか、生きるのに必要とか理由をいろいろつけて時間やお金といった労力をかけることへの免罪符にして熱中する理由とか、消費者として熱狂したいとか、熱狂するのに都合いい相手を見つけてストレス発散しているだけなのか……?」と考えていました。(そのため自分は推し活という言葉があまり好きではありません。推し活といってもいろいろなやり方があるわけで、一言で括ると語弊とか誤解とか生じやすいのでは……?と勝手に懸念しているためです。)途中で、n番部屋事件を思い出して「それは……推しが一瞬で無理になるな……」と絶望しました。肉体の性別だけで性的に搾取されることへの絶望とかで頭がぐにゃぐにゃになりそうでした……(「その人が好きだから対等に付き合いたい」ではなく、「その人ではなく、性的な価値のみ都合よく搾り取りたい」は、加害者と被害者の性別関係なく最悪ですが。)唯一の救いは監督がはっきりと女性の権利について語ってくれていることです。ただ、肉体の性別は関係なく老若男女全員が守られるべきであるのに、なんでわざわざ言わないといけないのか、しかし、人は常に考え続けて学ばねば……など思いました。(急に真面目になるオタク)監督のお母さんの意見がすごく芯があってすごく感動しました。特に「亡くなるのはだめ」というのが……加害者が亡くなったとき、加害者はかわいそうって言われて、被害者はそれを許さなければならない価値観とか物語性を帯びていくほどおぞましいことはなかなかないと思うので……あと監督が一人のときに推しの存在があってよかったということに、私もゲームや漫画、音楽で救われたことを思い出しました。(今だと「あのゲームはなあ……」と思ったりいろいろありますが、当時に熱中させてくれることで自分が逃げる場所になってくれていたので、ありがたいと思っています。)推し活のために心が広くなりたい、愛が持てるようになりたいと言う考えには共感します。そうしたらいろいろな人と適度な距離感を保ってうまくやれる気がしました。(ここでの愛を私は隣人愛とか、慈愛、博愛みたいな解釈をしました。)推しが罪を犯したとき、ファンが自罰的感情に陥るのはおかしくないか?!とも強く思いました。なぜなら悪いのはそれを隠す本人、本人の周囲の人、マスコミであって、ファンが推しを常に監視して清廉潔白と証明し続けるのは単なるストーカーで許されないし、ファンは騙されてるんだよな……事件が発生したときファンがなにかできるわけないんだよな……犯罪を犯した側が罪を語って償う以外には……と思いました。(だからこそ、私は裁判を通して容疑者にはその心情や真実を語ってもらって、再犯を防いだり、模倣犯を減らすために利用してほしいと考えています。)最後にそれぞれのオタクがそれなりに元気になっていて笑顔になりました。みんながまた元気に笑顔になってほしいです……私も自分がずっと推しのことを、推しを知ったことをよかったと思えるといいなと思います。長い間好きでいてよかったと思えるように、適度な推し方、依存しすぎない、自分にあった情報の入れ方とかで調整していこうと思います。(しかし、この作品を見る前から「嫌いになりたくないから、調べすぎないようにしている」など自分なりに適度にやってきていて自分でも驚きました。このまま継続して意識的にできるといいですね。他人事みたいに書いてしまいましたが……)あと善悪とか人権とか、そういうものを考慮してから、推しのしたこと、自分のすることについては考えたいと思います。自分が過去に残した言葉を思い出したとき、「自分なりに正しかった」「徳を落とさないことをした」と思えるようになりたいです。(私は徳という概念があるのですが、その徳を自分なりに積んでいきたいと考えているためです。)またこの映画を見て、消費と推し活、人権、差別や偏見、犯罪での加害者と被害者で被害者側の負担が大きすぎるといった問題の根深さに気がつきました。自分の中で、すぐ結論を求めずにいろいろゆっくりと考えていきたいです。畳む 鑑賞記録 2024/04/06(Sat) 20:07:43
#鑑賞記録
【自分が参考に見たサイト】
女性に性的暴行、身体に虫を入れさせる動画を…史上最悪のデジタル性犯罪「n番ルーム事件」、“懲役42年”の意味
「彼」自身の言葉で、語るべきではないか――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子
まず最初に、芸能人を推すとか好きを表すためのライブとかのイベントの熱量すごいな!!!と思いました。
結構普通とか感じていたけど、それは慣れのせいで「こんなに人が特定の目的のために集まって、デカ感情を持っていてグッズとかにお金を落とすの……発展した技術と社会が生み出したすごいことだな……!!!?」と改めて気がつきました。
(『映画の朝ごはん』を見たときの感覚を思い出しました。)
私は推しに認知されたくないタイプ(知られると嫌われる可能性が発生するのが怖いため)なので、認知された監督のファン活動にすごいな〜と思いました。
というか、私は認知までされたいと思う対象ができた場合「もしや自分はこの人に依存しすぎていませんか?依存先を分散させて自分の精神を守るためのリスクヘッジをするか……」と感情を抑える傾向にあるなと改めて自覚しました。
(あと推しについて調べすぎると疲れたり、ネットストーカーに発展しそうで怖いので、そもそも調べるのが大変な海外俳優さんを推すとか、グッズは買いすぎないとか、推しに関わる情報を発信しすぎないとか、SNSは壁打ちするとか、疲れたら調べない、といったリスクヘッジをしています。あと自分が情報過多で疲れていると思ったら、別のことをします。精神がへろへろなので常に適度な休息とリスクヘッジをしないとさらにへろへろになってしまうので……)
(休息ができているとか言われると謎ですが……同人は休んでいたらできないので。)
推しの犯罪でヨーグルトマッコリを作ろうとしてすべてこぼすオタクを見て、わ、私か……?と思いました。なぜなら、私はめちゃくちゃに粗忽者なので……
笑いましたが、休め……!とも思います。なんであんなことになっちゃったんだよ……
いろいろな人が推しについて語りますが、ここでセカンドレイプをするファンの意見はなくて(監督自身が推しの犯罪について不起訴の記事が多いのを見て、記者本人の方を責める以外は推しを擁護、被害者を叩くところがなかったと私は認識しています。)安心しました。
(推しがしたこと、これから自分が推しを応援できないことを認めたくないのはともかく、だからとはいえ被害者が黙っていればよかったとかは本当に最悪だと私は考えています。人権は誰にだって当然あるもので、かつ人権は誰に対しても守られるべきものであって、誰かの利益のために立場が強くない誰かの口を封じるのは本当に徳や理性がないと感じます。過去の歴史的な虐殺とか未だに残る根強い差別とかにつながりかねないので。)
(思うのは自由であっても、被害者を責めたりする意見を表に出すか、出さないかの選択肢と意思は各個人が持っていて、表に出してもいいがその責任は取るべきだと私は信じていたいので。本当はそんな攻撃するための意見など出していいわけないのですが……)
(自分も差別とか、偏見はできるだけしないで生きていきたいですが、私にできるのはできるだけ差別や偏見する自分自身を自覚し、他人を傷つけることを表に出さないように他の人に気遣ったり、自分なりに勉強して振る舞うことだけで、感情的な部分までの制御は困難だな……と思います。私にできることは、差別や偏見は人類が社会集団を維持するために、他人と自身を区別するために得た脳の機能の一部に過ぎないと理解したうえで、その機能が差別や偏見の方向で暴力性や加虐性を持って他者の権利がないと思い込んだり、差別や偏見していることを当然と思い込んで他者の権利を侵害したりしないことだな……と自覚して気をつけたいです……)
グッズの葬式のときに、そのグッズ一つ一つに思い出があるんだよな……と泣きそうでした。
そのすべての思い出が犯罪者のせいで泥がつくのは本当に最悪すぎる。
死んだ人しか安心して推せないというのを見て、例外を除いて確かにそうだよな……と思いました。
(死後に暴露、告発される場合があったり、歴史上の偉人でも過去の文書が見つかったり、研究が進んだりで解釈が変わるため)
政治活動も熱心にし続けているとアイドルファンの活動とも似ている気がするなと感じると同時に、「推し活とか体よく言っているだけで、政治・宗教活動ではないから自分の生活とかにはそれほど影響がないと思い込んで、生きがいとか趣味とか、生きるのに必要とか理由をいろいろつけて時間やお金といった労力をかけることへの免罪符にして熱中する理由とか、消費者として熱狂したいとか、熱狂するのに都合いい相手を見つけてストレス発散しているだけなのか……?」と考えていました。
(そのため自分は推し活という言葉があまり好きではありません。推し活といってもいろいろなやり方があるわけで、一言で括ると語弊とか誤解とか生じやすいのでは……?と勝手に懸念しているためです。)
途中で、n番部屋事件を思い出して「それは……推しが一瞬で無理になるな……」と絶望しました。
肉体の性別だけで性的に搾取されることへの絶望とかで頭がぐにゃぐにゃになりそうでした……(「その人が好きだから対等に付き合いたい」ではなく、「その人ではなく、性的な価値のみ都合よく搾り取りたい」は、加害者と被害者の性別関係なく最悪ですが。)
唯一の救いは監督がはっきりと女性の権利について語ってくれていることです。ただ、肉体の性別は関係なく老若男女全員が守られるべきであるのに、なんでわざわざ言わないといけないのか、しかし、人は常に考え続けて学ばねば……など思いました。(急に真面目になるオタク)
監督のお母さんの意見がすごく芯があってすごく感動しました。
特に「亡くなるのはだめ」というのが……加害者が亡くなったとき、加害者はかわいそうって言われて、被害者はそれを許さなければならない価値観とか物語性を帯びていくほどおぞましいことはなかなかないと思うので……
あと監督が一人のときに推しの存在があってよかったということに、私もゲームや漫画、音楽で救われたことを思い出しました。
(今だと「あのゲームはなあ……」と思ったりいろいろありますが、当時に熱中させてくれることで自分が逃げる場所になってくれていたので、ありがたいと思っています。)
推し活のために心が広くなりたい、愛が持てるようになりたいと言う考えには共感します。
そうしたらいろいろな人と適度な距離感を保ってうまくやれる気がしました。(ここでの愛を私は隣人愛とか、慈愛、博愛みたいな解釈をしました。)
推しが罪を犯したとき、ファンが自罰的感情に陥るのはおかしくないか?!とも強く思いました。
なぜなら悪いのはそれを隠す本人、本人の周囲の人、マスコミであって、ファンが推しを常に監視して清廉潔白と証明し続けるのは単なるストーカーで許されないし、ファンは騙されてるんだよな……
事件が発生したときファンがなにかできるわけないんだよな……犯罪を犯した側が罪を語って償う以外には……と思いました。
(だからこそ、私は裁判を通して容疑者にはその心情や真実を語ってもらって、再犯を防いだり、模倣犯を減らすために利用してほしいと考えています。)
最後にそれぞれのオタクがそれなりに元気になっていて笑顔になりました。
みんながまた元気に笑顔になってほしいです……
私も自分がずっと推しのことを、推しを知ったことをよかったと思えるといいなと思います。
長い間好きでいてよかったと思えるように、適度な推し方、依存しすぎない、自分にあった情報の入れ方とかで調整していこうと思います。
(しかし、この作品を見る前から「嫌いになりたくないから、調べすぎないようにしている」など自分なりに適度にやってきていて自分でも驚きました。このまま継続して意識的にできるといいですね。他人事みたいに書いてしまいましたが……)
あと善悪とか人権とか、そういうものを考慮してから、推しのしたこと、自分のすることについては考えたいと思います。
自分が過去に残した言葉を思い出したとき、「自分なりに正しかった」「徳を落とさないことをした」と思えるようになりたいです。
(私は徳という概念があるのですが、その徳を自分なりに積んでいきたいと考えているためです。)
またこの映画を見て、消費と推し活、人権、差別や偏見、犯罪での加害者と被害者で被害者側の負担が大きすぎるといった問題の根深さに気がつきました。
自分の中で、すぐ結論を求めずにいろいろゆっくりと考えていきたいです。
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