蜜雨

其之二十九

 膨れ上がった悟空の気が弾け飛び、同時に邪悪な気が離れていった。もしかして悟空はやられてしまったのだろうか――まさかあの悟空が。あともう少しなのに、間に合わない。

「悟空ーーーっっ!!!!」

 が悟空の元へ着いた頃には既にすべてが終わった後だった。地に倒れた悟空の近くにはヤジロベーが立っていて、そのヤジロベーはの声を久方ぶりに聞いて狼狽ていたが、もはや目の前の悟空に必死なは気づいていなかった。

「悟空っ! しっかりしろ!!」

 は何度も名前を呼び掛けながら悟空に触れ、体温や脈、心臓の動きを確認する。そうしているうちに悟空は苦しそうに呼吸をし始めた。これならまだ助かると確信したは一気に悟空に気を送り込んだ。

「悟空……悟空っ!」
「っは……はあ……っみ、水……」
「よし、ある程度回復したな……! 悟空、飲めるか……?」

 はホイポイカプセルで水を出すと、悟空の上体を起こしてなるべく横向きになってもらい、水を少量ずつ流し込んだ。これでもう大丈夫だ。

「ヤジロベー」

 眠りについた悟空に一安心したは、ぼーっと眺めていただけの兄弟弟子にやっと声を掛けた。

「久しぶりだな……まさかこんな所でまた会えると思ってなかったよ」
「おめえ……孫と知り合いか?」
「ああ。それよりもここで話している暇はない。ヤジロベー……クルマ持ってないか? カリン塔まで連れて行って欲しいんだ」
「っへ、オレはもうごめんだぜ。あんなおそろしい奴がいるとなっちゃ、早いとこ安全な場所を見つけて……」
「そのカリン塔が安全な場所だと言ったら……?」
「……そんなのどうせデタラメだろ?」
「天国に一番近くて食べ物にも困らなくて安全。これ以上いい場所はないと思うが?」

 のその言葉にヤジロベーが大人しくホイポイカプセルでクルマを出すまで時間は掛からなかった。



「……そうか……ヤジロベーがドラゴンボールを持っていたのか……」

 悟空を抱き抱えながらヤジロベーの運転するクルマの助手席に座るは、今まで起こった出来事をヤジロベーに話した。ピッコロ大魔王が復活してなんらかの願いをかなえるためにドラゴンボールを集めていること、たちの仲間が殺されたこと。

「……う、っ……」
「悟空! 気がついたか?!」
「っ……? なんだここ、夢か……? オラ死んだんか……?」
「ばかっ! ひとりで勝手に敵討ち行って死にそうになって……どんだけ心配したと思って……」

 は膝の上にいる悟空をきつく抱き締めた。ふわりと香るいつもののにおいに、怒りに満ちていたはずの心が生きてに再会できた喜びで満たされていた。

「生きてて……本当によかった……」
「はは……まるであん時と逆だな……」

 力なく悟空は笑う。
 あの時は悟空自身も死んだと思ったが、自分の死よりもの死の方がはるかに怒りや悲しみのどん底に突き落とされた気分だった。だが幸いにも悟空もも生き延び、お互いの生を感謝して喜び合ったことはつい昨日のことのように思い出せる。

「っち……お喜びのところ悪いけどよ、孫に話したいことがあんじゃねえのか?」
「なにそんな怒ってるんだヤジロベー?」

 不機嫌そうにしながらクルマの運転を続けるヤジロベーに、訝しげな表情を浮かべたはピッコロ大魔王のこと、超神水のことを悟空に話した。

「じょうだんじゃねえ!! そんなのただの毒じゃねえかよ!!」
「でも俺は飲むよ。ピッコロ大魔王に殺されるくらいなら、少しでも可能性のある死を選ぶ」
「……オラも飲む!!」
「い!? おめえらバカか?! そんなのは勇気があるってことにはならんのだぞっ!! アホだぜ!! 自殺もんだ!!」

 ヤジロベーの言葉は正論なのかもしれない。常人の神経を持っていれば、まず挑戦すらしないだろう。だがと悟空の決意は揺らがない。
 やはりの思った通り、悟空は飲むと言った。そして悟空ならばきっと生きて力を得られるとどこか確信していた。

「あ、そうだった……仙豆を食べさせるのを忘れていた。ほら、悟空口開けて」

 自分の話したいことを話し終えたは肝心なことを思い出し、懐から袋を取り出して悟空に仙豆を食べせると、ヘロヘロだった悟空がみるみる元気になった。

「すげーすげーっ!! 腹がふくれただけじゃなくて、ケガもすっかりなおっちまった!!」

 に抱えられた状態で悟空がはしゃぐ姿をチラリと見て、ヤジロベーが横目で羨ましそうに訴えてきた。

「……そんなすげえのかその豆粒」
「ありがたーい豆だからな」
「オレにも食わせろ」
「ヤジロベーはなにもしてないだろ」
「運転してる」
「悟空がボロボロにやられてるのに助けなかったくせに」
「おめえも知ってるだろ、オレがいちばん嫌いなのが死ぬことだって。あんな化け物相手できるかよ」
「死ぬのが好きなやつなんかいるか」
「……あーっ! やっぱヤジロベーっての言ってたやつか!」

 お互い真っ直ぐ前を見ながら(運転しているヤジロベーは当たり前だが)、無表情で一定のトーンで冷静に口論していると、悟空が思い出したように声をあげた。

「あん?」
がリップス見た時に師匠とヤジロベーってやつの名前叫んでたんだ! おめえだったんか!」
「っちょ!? なんでこのタイミングで言うのかな悟空さんは!!?」
「だあっはっはっは!! おめえまだリップス見ると気絶しちまうのか!?」
「うるさいっ! 元はと言えばおまえと師匠があの時助けてくれたらトラウマにならず……っっ!!?」
「は!!」
「な、なんだよおめえら急に……どうかしたんか!?」

 取り乱していたが急に黙り込み、悟空も険しい表情をしている。ヤジロベーだけがふたりの急な変化に首を傾げていた。

「……っ武天老師さまが……死んだ……」

 が震えた声で呟き、顔を俯かせる。悟空はのその言葉を聞いて怒りで震えていた。あのやろう、と。

「なんだってんだ。突然真っ暗になっちまったぜ!」

 と悟空はきっとピッコロ大魔王が神龍を呼び出したのだと察した。そして餃子の気が絶たれて間も無くすると今までよりも数段強い邪悪な力が存在感を増し、やがて空は再び明るくなった。

「ピッコロ大魔王がなにを願ったかわからないが……最悪なことにあいつの力はなん倍にもなってしまった……」

 の沈んだ声が静かに響く。
 カリン塔はもう目前まで迫っていた。






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